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それぞれの育て方


ジュニア時代、三才からずっと一緒にやってきたお子さんがいます。
ボン助とは同じ幼稚園、小学校、同じクラブ…小さい時はお互いに一人っ子。
そのA君は、ボン助同様小柄だけど、小さな時からボン助とは対照的に目立つお子さんでした。

ボン助、キャプテンはどうかと言われても『僕はイヤ!』とお断りしてしまう。対するA君は目立つの大好き、運動神経が発達していて、ドリブルしてシュートまで…一人で全部できてしまうお子さん。当然、エースです。A君は当然のようにキャプテンを拝命。3年生までエースでキャプテンでした。

このA君、運動だけでなく、勉強も出来る。お宅も裕福でご両親も子供に熱心。コーチの指導方針に対しても意見する(できるような)方。
サッカー以外に空手、ピアノ、水泳、英会話、塾…色々な習い事を分刻みでこなす、当にスーパーマンでした。
ただ、チームの為に下働きをするという姿は、あまり見たことがなかった。試合が終れば、次の習い事でしょうか。片付けもそこそこに、すぐにお父さんのベンツで帰ってしまう。
試合は必ずフル出場ですから、ベンチで選手の飲み物を運ぶとか、する事もない。

対するボン助、低学年の頃は体力もなく、プレーも目立たないから、ベンチを温めることも少なくありませんでした。フル出場なんてまずないし、とはいえ、ベンチには入るから、気が付くとなんだかんだと下働き(苦笑)

転機が訪れたのは、4年生になるとき。その頃には、A君自身もト●プのコーチの指導方針が気に入らないと、よく口答えをするようになって…。
親がコーチを批判すれば、子も当然コーチを甘く見るようになりますね。
A君のお母さんには、うちの家内からもコーチに言って欲しいと言われ、家内はよく困っていましたっけ…もちろん、何も言いませんでしたが。

A君、そんなでト●プのサッカーだけでは飽き足らず、1年前から、同じブロックの最強チームBの練習に参加していました。そのBの仲間が、造反して?ごっそりとある新設チームMへ移籍するという。『全国を目指そう!』Mの監督の言葉に惹かれたんでしょうか。A君も当然のようにBの仲間とともにMへ移籍する事に・・・ただ、なぜかト●プも練習のみ時間のある時に参加するとの事で、席は残したままですが、公式戦はMで参加とのこと。A君当然、ト●プキャプテンを辞退することに…。

それからのA君。Mで毎週のごとく、埼玉、千葉、神奈川などの強豪相手にTM。親御さんもその都度遠征に帯同して大変だったようです。
対するボン助、A君の抜けた穴を補えるわけもなく、ただ他に適任者もいなかったのでしょうか、引き継いでキャプテンを拝命。エース不在で厳しい試合ばかりでしたが、A君が抜けてボン助は出番が増えたというか…

心に残るエピソードは、A君の移籍時、ボン助もMに一緒に移籍しないかと誘われたようです。
ボン助、即答。

『俺は一生ト●プでやる』

この話は、ずっと後に、今も一緒の仲間のK君のお母さんから聞いた話。
K君はその様子をたまたま見ていて、その時のボン助の毅然とした態度がとても嬉しかったと、お母さんに話したそうです。
親馬鹿オヤジ、その話はなんとも嬉しかった!

A君が抜け、この学年のサッカーが、一人の個人プレーに頼るサッカースタイルから、特に目立つ選手のいない全員サッカーへ変貌してゆきます。
たしかに低学年の頃というのは、一人ずば抜けた選手がいると、一人でなんとか出来てしまうけど、この頃、だんだんサッカーになってくると、一人ではどうにもならなくなってきますものね。A君の抜けた意味は、チームにとって、良くも悪くもとても大きかったと思います。

そのA君、Mで約二年プレーした後、6年生前になって再びト●プへ戻りたいという話になりました。

ボン助、その時監督に呼ばれます。

『Aが戻って来るっていうけど、お前がフォローして温かく迎えてやってくれ』

仲間には、強豪への移籍を『裏切り』と捉えていた輩もいたようで、彼が再びチームに溶け込めるかどうか、ボン助の態度が重要だと考えられたのではないかと思います。

『はい、わかりました』

A君が再びキャプテンに返り咲くのかなぁ…なんて、自分はちょっとだけ不安だったんですけど…だってA君の居ない1年、ボン助なかなか勝てなくて、頼りないキャプテンで、苦労してましたから…

でも監督のその話を聞いて、杞憂であることがわかりました。

A君、Mは完全に辞めたんですが、その頃はJ下部のスクールでも活躍していたようです。相変わらずの、二足の草鞋…

しかし、僕の目からみて、この頃から彼のプレーは、少しづつ目立たなくなってきていました。サッカーは一人では出来ない。その事が未だ分かっていないように感じる我がままなプレーが多かったように思います。

全日本、さわやかには、ト●プの選手として参加、SHを任されてそれなりの活躍をしましたが、その時は既に決して飛び抜けて目立つ存在ではなくなっていました。彼が伸び悩んでいたというより、皆がそれぞれ伸びてきたんでしょうね。

それでもA君、JYは通っているスクールの有名Jクラブチームへ進むと思われていました。ご両親も、本人も、そう言われていたのかどうか分かりませんが、セレクションもあってないようなモノという感じで、当然そこに進むと公言していました。

そしてJクラブのセレクション、受験…A君はいずれも夢破れ、落とされたJクラブの紹介で、とある新興クラブへ進むことを決めます。
Jがダメだった時、どうしてウチの監督に相談しないんだろう…って、他人ごとだけど思いました。6年最後の2月だったかな…電話1本で、ト●プを退会すると連絡があったと聞きました。

あの時、『温かく迎えてやって』とおっしゃった監督です。相談すれば何のわだかまりもなく、彼の為に親身になってくれたでしょう…

今、A君はその新興クラブで、なかなか試合で活躍するチャンスを与えられていないようです。

決して、彼のご両親を批判するのではありません。自分にそんな資格はないし、自分の子育てが全て正しかったとも思っていません。
もちろん彼もこれから伸びるはずの選手です。

ただ振り返って、A君は親が今すぐの結果を求め続けて来なかったか。それを最優先する余り、日々感謝や反省の気持ちを忘れては来なかったか。

最近、家内がA君のお母さんに道でばったり会った際、『Aは今は、未だ身体が小さいから(試合に出られなくても)仕方ない』と言っていたそうです。

親がそう言ってかばってしまったら、逃げ道を作ってしまったら、子供も当然そう思っているでしょう。
コーチや周りを批判してしまったら、自分に足りない部分を考えずに、誰かのせいにしてしまうでしょう。

何か足りないところがあるから、どうそれをカバーしようか考える。決して試合に出る事だけが人生でも目標でもないけど、今のありのままの自分を見極め、足りないところをどうステップアップしてゆくか考える事で、初めて成長できるのではないでしょうか。

親の務めは、今すぐの結果を求めてこうすれば良しと答を与えたり、その為のレールをひいてあげる事ではなくて…

一緒に考えたり、時にはただ黙って見守ってあげる事…例え、間違っていても、人様に迷惑をかけなければ本人の考えを尊重して、むしろ失敗させてあげることだし、上手くいかない時、言い訳を与えるのではなく、その苦境をどう乗り越えるか、時に厳しく、優しく、励まし見守ってあげる事なんじゃないでしょうか。


A君もボン助も、まだまだこれから。一緒に頑張ってきた仲間だから、
二人とも自分で考え、時に葛藤して、これから幾多の山を自力で乗り越えてゆける人になって欲しいです。

久しぶりの、のんびり過した日曜日。眼下のグラウンドでボールを追う小さな子供達と、応援する親御さんを見ながら、そんな事を考えました。

by tama1366 | 2006-11-27 17:20 | 子育て