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優しさ


このブログを読んで下る方から、とても嬉しいコメントを戴きました。

『優しい』というお言葉。
この場をお借りして、御礼を申し上げます。

仕事のお客様や個人的にお付き合いのある方から、何度かそのように言って戴いた事があります。

実は、そう言われてとても嬉しい自分と、謙遜ではなく、『決してそんな事はないのです』と心の中でつぶやく自分とが居ます。

今日は、『優しさ』の意味を考えてみたいと思います。

1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
3 性質がすなおでしとやかである。穏和で、好ましい感じである。
4 身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。
5 控え目に振る舞い、つつましやかである。
6 殊勝である。けなげである。りっぱである。

辞書で調べてみると、以上のように解説してあります。
現代で私達が『優しい』という言葉を使うとき、大抵は、2の意味で使う場合が多いのではないかと思います。

現代の社会に於いては、この思いやりや情を逆手にとって悪事をはたらく、例えば『振り込め詐欺』なども横行しています。
ビジネスの場においても、私的な人間関係においても、結果だけ見れば思いやりや情はかえってアダになる事もあるのかもしれません。

ボンが小さい頃、道を尋ねるふりをして子供に近づき、その子を殺めてしまったというような事件をニュースで知り、果たして、そのような場合にどうしろと子供に教えたらよいのだろうと、すごく悩んだ事がありました。『人を見たら泥棒と思え』というような考え方が、身を守る事もあるのだろうかと考えさせられたからです。

困っている人を見かけたら、その人の立場になって、親切にその人に道を教え、時間が許せば自ら率先して案内してあげるような人であってほしいと思っていました。

この難しい問題の答えは、正直なところ未だ見つかっていません。というか、答えは分かっているのですが、我が子の無事を考えると、自信を持って子供にそれを伝えられない自分がいます。

毎朝の電車通学、心ない人同士が、肩がふれたのぶつかっただの些細な事から、口論や、場合によっては殴り合いまでしているような事件を見かける事もあるようです。或いは、同年代の違う学校の子に、同じ学校の生徒が駅で言いがかりをつけられるというような事も…

思わず、そういう場からは速やかに離れなさい。何か言いがかりをつけられたりしても、決して相手にせずに、その場から離れなさいと教えた自分です。

しかし、もしも同じ学校の生徒が、何の落ち度もなく言いがかりをつけられ、下手をすれば殴られたかられるような場面に遭遇した時、とにかく係わらないように速やかにその場を離れたとしたら…
それは決して、思いやりや情に溢れた行動とは言えないだろうと思います。

機転の利く子なら、自分だけでその場に割って入るのではなく、大人の助けを求めるとか、方法はあるのかもしれませんが、なにしろ未だ中学一年生。そんなに要領よく立ち回れと言うほうが無理かもしれませんね。

常に、誰にも『優しく』あるというのは理想ですが、場合によってはとても勇気の要る、しかも難しい事なのかもしれません。
ややもすると、相手によっては、その優しさがアダになって、自分自身の心や体に傷を負うような事もあるかもしれない。

振り返って、自分にもそんな経験があったかもしれません。

ただ、よく考えてみると、その時の自分自身に、どこかで、純粋に相手を思いやる気持ち以外に、例えば褒められたいとか、何かしてほしいとか、誰かや、場合によっては自分への見返りを求めていたようなところがあった場合に、そんな経験をしてきたような気がします。

子供への思いは、たぶん何の見返りも期待していませんが、ビジネスや普段の人間関係においては、『無欲の優しさ』ばかりではない自分だと思うのです。

やっぱり、自分は決して『優しい』とは言えませんね。
『優しい』と言って下さった方には、御礼とともに、お詫びを申し上げなければりません。

上手く伝えられないけれど、子供達には、本当の意味で、『優しい』人になってほしいと思っています。

by tama1366 | 2006-11-15 15:57 | 生き方